接客で見える文化
日本に行った人に感想を聞くと、接客の丁寧さにいい印象を持っている人が多くてつられて嬉しくなります。
海外のカジュアルな接客も最初は慣れませんでしたが、
『その買ったポーチ、今持っている鞄に合うね。夏っぽい!』とか
『今日はそのケーキないんだ。でもうちのティラミスも美味しいよ?』とか
気軽に話しかけてくれる接客にも慣れてくると『あ、友達?』と思って気を張らずに楽になってきます。
携帯ゲームをしながらの接客、明らかにカサ増し請求をする接客など色々な接客に出会いましたが、私の中で一番印象に残っている接客があります。
ロシアのお店での接客です。
ただハムが買いたかった
美味しいロシアのお菓子や総菜が買えるそのお店が大好きだったのですが、量り売りだったのと、ロシア語があまりできなかったのでロシア語話者の友達について来てもらっていました。
日曜日は閉店時間が5時なので1時間前にお店に入って
『ソバの実、ニシンの酢漬け、シローク、チョコレートのゼフィール…ゼフィールは量り売りだから友達にお願いしなきゃな。』
いそいそ考えながら店内を物色していると、加工食品売り場から激しい声が。
男性に手を払う仕草をする女性の店員さんが見えました。
あまりに激しかったので『職場まで来て痴話げんか?』と思うくらいでした。
普通に買い物をしている友達に事情を教えてもらうと
『あの男の人、ハムが買いたかったんだって』と一言。
怒鳴られていた男性がお客さんだったことにまずびっくりしていると
『今日はハムをスライスする機械をもう洗ったんだって。
せっかく今日の仕事が1つ終わっているんだからハムは売らない。
明日来て。だってさ』
笑いながらお願いしたゼフィールを別の店員さんに頼んでくれました。
(ゼフィールは売ってくれてよかった。)
『よくあることだよ』
明らかに目が点になっていた私に友達はさらに笑いながら教えてくれました。
『あのお客さんにとってもいつも通りだってこと???』
強気な接客
日本の接客を『初対面なのに信じられないくらいに丁寧』と驚いていたロシア人の友達の本当の意味が分かった気がしました。
ロシアでは『初対面の人に笑うとつけこまれる』と考えられているらしく、お客さんといえども笑顔を見せない接客は多くあります。
店員さんが強気なのも共産主義時代のなごりかもしれません。
とりあえず、あの男性客が自分じゃなくてよかった。
こんなにも強気な接客があることをもう知っているので、
次同じ状況に出くわしても精神的ダメージは小さく済みそうです。
関連記事🌻🌻
オーストラリア人が日本橋で見つけたもの
ソトだから気づくこと
自分にとっては近くて気が付かないことも、ソト側の人から見ると興味深いことってたくさんあります。
生まれ育った環境からソトに出て、違う視点で見ると改めて気が付くこともたくさんありました。
今回の話はオーストラリア人の上司と仕事で日本に行ったときの話です。
『ここでも靴を履き替えるの?』
日本では靴を脱いで室内に入らなきゃいけないことは、日本に行ったことがない人でも知っているくらい常識として広まっています。
『玄関でスリッパに履き替えて、
トイレのスリッパもある。
お風呂場に防水スリッパもある。
ベランダにでるときはまた別のスリッパに履き替える。
一体いくつスリッパが要るんだ???』
こんな冗談を言われるくらい日本のスリッパ習慣はよく知られているから嬉しいです。
オーストラリア、アメリカなどでは室内で靴を脱ぐ習慣がないこともよく知られていますよね。
(移民先でも自国の文化と暮らしている家庭もあるので、家庭にもよりますが)
日本橋にある会社を訪問していた時、オーストラリア人の上司がぽつりと言いました。
『ここでも靴を履き替えるの?』
出先から帰って来た人が別の靴に履き替えたのを目撃したそうです。
『会社は家のソトなのに?』
オーストラリアでは出勤・帰宅中、上はスーツで下をスニーカーに履き替えて歩いている人をよく見かけます。
『スーツに合わせた靴よりもスニーカーでしょ、歩くんだから』というもっともな理由からだそうです。
働いている間こそ履き心地のいい靴の方がいいなーとくらいにしか私は思いませんでした。
でも、会社も家の「ソト」、他者に会う所ですよね。
ウチとソト
日本語学習者泣かせの尊敬語と謙譲語ですが、
尊敬語は目上の人に使い、謙譲語は相手への敬意を示すために使うという日本の文化によく合った言葉です。
それを会社では相手が社内か社外に属するかでさらに使い分けますし、家族内・外でも同じことが言えます。
どうしてお母さんと母を使い分けるの?
どうして上司を呼び捨てにしてもいいときがあるの?
ウチとソト。
日本での社会との関わりを表したような言葉ですが、海外の人にはその概念や文化を理解するには少し時間がかかりますね。
ウチとソトで服装に気を付けるのがマナーでもある日本で、家の「ソト」である会社で靴を履き替える行動はスーツとスニーカーを合わせる実用的なオーストラリア人からしたら興味深い発見だったそうです。
「ウチ」である会社で履き心地のいい靴に履き替えることは特に気に留めることもない日常だと私は感じてしまいましたが、確かに。
靴一足に文化の違いを感じた一日でした。
関連記事🌻
一番大事なやる気の元(自律性と興味)
自己決定理論、最後の1つ
成長するための挑戦と学習には意欲が必要です。
その意欲に必要な関係性・有能性・自律性を3つに分けて書いてきましたが、今回は最後『自律性』についてです。
自分で決めたことをする楽しさ
生まれたときから私たちには探求心や向上心が備わっています。
子供の時、あれもこれもと自分でしようとして大人に迷惑をかけましたが、失敗しても時間がかかっても最後にできたら嬉しかったです。
誰かに言われたことには興味を示さず、自分で決めたことには無我夢中で取り組みました。
それが自律性です。
学習意欲を向上させるにはこの自律性を高める必要があります。
原因が何かを見極める
自律性が欠けた学習者に多く見られるのは
『勉強の仕方がわからない』
『聞いていてもわからない』です。
特に言語学習は、学習者が進んで学習しないと指導だけではどうにもならない分野でもあります。
クラスで単語の暗記に時間を割くことはほとんどないですが、単語で躓いて指導者の説明が頭に入らないことはよくあります。
授業外での努力は学習者の自律性に頼るしかありません。
難しいのは自律性の重要性を諭しても、学習者には簡単に響かないことです。
学習者に耳を傾け、原因を探り対処しないと根本的な解決はできません。
クラスでできること
私たちの脳の構造は複雑ですが、興味のある物に対してはとても単純にできています。
没頭してあっという間に時間が過ぎた経験をしたことがありますか?
心理学では『フロー現象』と呼びます。
興味がある事には強い探求心から集中して作業に取り組みます。
・実生活と繋げて外国語を学習する(ロールプレイ)
・言語と一緒に外国文化に触れる(食文化や音楽、映画など)
・プレゼンテーション
このような文法・翻訳中心ではなく、学習言語を道具として使う課題例はフロー現象を上手く取り入れている学習方法でもあります。
オーストラリアの外国語教育ではこのタイプの課題が多く、好きなアニメの歴史的背景を発表したいと意気込んでいた学習者が、嫌いな漢字も頑張って読んでいた姿は印象的でした。
もちろん、
学習者みんなが同じように反応してくれるほど簡単な話ではありませんが、興味がある事が関係したら意欲が少しでも沸くのが脳のよくできたところだと思います。
自律性は自分の意識に素直に働く
大人になるにつれ、失敗も経験しますし、興味あることだけすればいい環境ではなくなります。
自分の好きな事だけができる甘い世の中ではないので仕方がないところです。
なので、『親に言われて』『単位の為にしている』と様々な理由で自律性を欠いた学習者もいます。
外国語を学ぶことは、その言語に付随する文化や価値観、考えなど国際社会に生きるための視野を広げてくれる機会です。
前と違って、海外に行かなくても外国人と生活を共にする機会が格段に増えてきています。
受け身で学習している学習者は、グローバル化が進む中での立ち位置を考えて、与えられた機会を自ら無駄にして欲しくないと思います。
関連記事🌻
できる気持ち(有能性と学習意欲)
自己決定理論、残りの1つ
子供のときにはなんでも興味を示し、
『できるよ!』とぐちゃぐちゃにしながら挑戦して大人を困らせていた私たちですが、いつのまにか少しずつその気持ちを失いながら大人になっていきます。
本来持つ意欲を引き出す要になる自己決定理論、
関係性・有能性・自律性のうち今回は『有能性』についてです。
小さい事でも『できる』と思ってもらうこと
自己決定理論の3つで一番学習者の心理に絡んだ欲求が有能性だと言えます。
学習者が『自分にはできる』と思ってもらうことが鍵になるからです。
自分にはできる。
自分に能力がある。
自分は役に立つ存在だ。
その満足感からさらに知識を重ね、課題に取り組み、自分をより高みへと持っていこうとする欲求が有能性です。
指導者からの言葉の重み
学習者はどんな時に有能性を感じられるのでしょうか?
レベル別にクラスが分けられている学校でも、学習者によって差がでることはよくあると思います。
自分よりもできる対象が近くにいると、比べて劣等感を感じてしまうのが人の心理です。
特に新しいことを学んでいる過程ほど劣等感を感じやすい時期はないと思います。
学習者が自分を肯定できなかったら、他に誰が肯定してくれるでしょうか。
前回の『関係性』の記事に、
『一人一人に興味を持ち、強みを見つけ伝える』大切さについて書きました。
有能性も同様です。
自分の能力に自信がない学習者に対しては特に気を配って有能性のバランスを整える必要があります。
指導者の言葉の影響力は想像以上です。
インプットは『 i +1』?
言語学者のKrashenはインプット仮説で
実際の能力よりも少し上の内容に取り組んで理解したとき、人の脳力は最も成長すると唱えています。
『 i +1』は与えられるべきインプットの水準を表し、
i が学習者の実際の能力を、+1は学習者が成長するために足すべきレベルを指します。
簡単すぎると学習者は飽きてしまい、
難しすぎると有能性を満たせずやる気を失う学習者もいるでしょう。
課題を与える時、間違いを訂正する時も学習者に合わせた『 i +1』を与えることが学習意欲を損なわないためにもできることです。
指導の経験や知識を生かして学習者に合った『 i +1』を
学習者に『自分にはできる』と思わせることは自己決定理論の最後の1つ『自律性』の刺激にも繋がります。
学習者が持つ学習意欲はどんな教材よりも学習者の能力を伸ばしてくれます。
次回、学習意欲の最後『自律性』に続きます😊
関連記事🌻
信頼関係を築くために(関係性)
関係性・有能性・自律性のバランス
学習意欲が低い学習者には、本来持っている意欲を刺激するために
関係性・有能性・自律性を満たす必要があるという自己決定理論の話を前回しました。
今回はその1つ、『関係性』に焦点を当てた記事です。
学習者との距離感
指導者と学習者の関係性は近すぎず遠すぎずなのが大前提です。
友達のような関係になると授業は楽しくなるかもしれません。
でも甘えが出たり、指導者としての尊厳を適度に保つのに苦労したりする指導者も見てきました。
だからといって、距離がありすぎると不必要なプレッシャーから学習者の伸びる機会を奪う場合もあります。
時代が変われば価値観も変わります。
価値観が変われば人の心理も変わります。
簡単に物が手に入り選択肢も多い今、合わない時には次に行きやすい時代でもあります。
笑顔を振りまく必要はないのですが、プレッシャーだけを与えるような関係では学習者はついて来ない時代に今はあると感じます。
注意する時や指導の時も、決して感情的にはならず、意図を説明し話すことは学習者に、というよりも一人の人に対しても大事だと思います。
文化によっては人前で注意することは親でもしない国もあるので、クラスの中の異文化にも気を配る必要があります。
見てもらっているという安心感とその影響力
教わった先生や指導者でどんな人が印象に残っていますか?
大勢の学習者がクラスにいるとそれぞれと関係を築くのは難しいかもしれません。
全員と深い関係を築く必要はありませんが、一人一人に気を配ることは大切です。
学習者にとって指導者は一人です。
指導者に気付いてもらったこと、誉めてもらったことを学習者は覚えています。
お世辞を言ったり無理に取り繕ったりするのではなく、
文字の書き方
課題の提出具合
声の大きさ
良い所は必ずあるはずなので、強みや良さ、頑張っていることなんでもいいので一人一人の個性に気付いて伝えることは思った以上に強い印象を与えます。
その場で学習者から反応がなくても、一人の指導者から誉められたことや気付いてもらったことは心に残るものです。
クラス内の課題でも宿題でも少しでも、一人一人添削をして一言でもコメントを残すことは、学習者の強み・弱みを把握する点でも、大勢の中でも埋もれずに見てもらっているという印象を与える点でもプラスに働きます。
それができなくても、授業で課題をする際には一人一人の作業を見て回って確認することで同じ印象を与えられます。
みんなの前では質問しづらいと感じる学習者も、回ったときに質問してくれたり、こちらも訂正しやすかったりします。
大勢いる中でもちゃんと見てもらえているの安心感もあって、適度なプレッシャーを与えることもできるでしょう。
見られていないと分かると気が抜けたり、意欲がなくなったりする人の心理を経験したことがある人は多いと思います。
興味を持つこと
適度な距離で信頼関係を築くことはお互いにとってもメリットです。
一人一人に気を配ることで学習者に興味を持て指導意欲を刺激するという利点もあり、
興味を持つことで良い所にも気付きやすくなると思います。
関連記事🌻