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元日本語教師の海外日記

元日本語教師・英語教師/現言語教育コンサルタントのブログ🌻

言語力だけじゃないコミュニケーション

外国語でコミュニケーションができるということ
外国語が話せたら旅行に行くときにはきっと困りません。
必要な情報や物を手に入れ円滑に行動することができるでしょう。

じゃあ、話せたら外国語を使って働いたり友人を作ったりもできるのか?

どの程度の関係を構築したいのかにもよりますが、他者と良好な関係を築くことが必要な場面では“話せる”だけでは補えないので悩むところです。

性別、年代、価値観が違えば考え方も違うという経験は誰もが経験したことだと思います。
それが文化の違う外国の人相手となるとより顕著にでます。

褒められたらどうしますか?
人にもよりますが、誉められた時には謙遜したり相手を褒め返したりすることで謙虚に対応することが日本では評価されていると思います。

それが良いとされていますし、日本に長く住んでいる外国の人もこの習慣を当たり前のように習得しているのにはたまに驚かされます。
郷に入っては郷に従えといいますから、彼らにとってもこの習慣は日本人と良好な関係を築く上で必要なものと認識しているからでしょう。


『その髪型似合ってるね』 ― 『えーそんなことないよ』
『フルート上手だね』 ― 『いいや、ジェナのほうが上手だよ!』

この頃はまだ海外に出て一年目の高校生でした。
日本の習慣しか知らない私にとって、その習慣を忘れて違う習慣を取り入れることには随分と抵抗があったのを覚えています。

相手と仲良くやっていきたいと思うほど自分が“正しい”と思うマナーで相手に接していましたし、他にも方法があるとは思ってませんでした。

誉められた私がそれを受け入れずにいたので、相手の顔がどうしてきょとんとしていたのかは今では理解ができます。
(時代と土地のせいで外国人がほとんどいないニュージーランドの町でした。移民や外国人の多い町ではまた違う結果だったと思います😐)

出る杭は打たれるのか?
Hofstedeの文化分類で日本は集団主義に位置しています。
(Hofstedeの集団主義個人主義の分類の記事)

 
集団主義に属しているということはグループの調和を大切にし、人より際立った行動を避ける傾向があります。
他者から秀でていたり違ったりすることに敏感に反応するので、この集団主義の文化下で誉め言葉を受け入れる行為は他者より秀でていることを肯定する行為とも取れます。

調和を大切にする集団主義ではこれは謙虚さの現れで評価される行為です。


個人主義に属する国は個人の特色をより尊重するので

・多種多様な考え方がある
・他者との差異を求める結果主義
・個人間の繋がりよりも自分の個性が重要視される

なので誉め言葉を受け入れる行為は、相手が見染めてくれた良い点や個性を自分で受け入れ認める行為でもあります。

言語で挙げると
Holmesは文化ではなく言語で分類しています。その一部言語を下に紹介します。

- アラビア語
- サウスアフリカ英語
- アメリカ英語
- ニュージーランド英語
- ドイツ語
- スペイン語
- トルコ語
- 中国語
- 日本語
- 韓国語

リストの上部にあるほど誉め言葉を受け入れる傾向があり、下部にあるほど誉め言葉を受け入れない傾向があるそうです。

言語によって性格が変わること
誉め言葉の受け取り方だけでも文化や言語で変わってくるのがコミュニケーションです。
受け入れなかったら謙虚さを評価されるより自分自身を認めない人と思われたり、
受け入れたら自分の個性を肯定している人というより自信過剰な人と思われたりすることも相手によってはあるかもしれません。

同じ人でも言語によって性格が変わることがありますが、性格というよりも言語に付随する文化や習慣を学んでそれをコミュニケーションに活用している結果でしょう。

文化と言語は互いに切り離せない関係なので、良好な関係を築きたいならば言語と付随する文化や習慣もコミュニケーションに必要不可欠です。

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