子供と大人は違う
『若ければ若いほど外国語を学ぶのには有利だ』とよく聞きますよね。
私たちが子供の時は教科書で勉強をしなくても話せるようになったのに…
そう考えると、大人には苦労ばかりな気がして余計に辛い気持ちになります。
大人に必要な事を伝える為に、生きていく為にと言葉を覚える子供の母語習得と興味や目的の為に外国語を学習するのでは必死さも違います。
そして、母語習得と外国語学習ではプロセスも使う脳の部位も違います。
本当に早く始めた方が有利なのでしょうか?
子供の言語習得は耳から
子供の習得と大人の学習に触れるとなると臨界期仮説は外せません。
少しまとめますと、ネイティブのように言語を扱えるようになるには年齢に上限があるとするのが臨界期仮説です。
一説には年齢の上限は思春期で、この頃から外国語を学ぶ能力は下がる傾向にあるとされています。
これがよく言われる『若い方が…』の根源です。
目的言語に長期間、毎日何時間もどっぷり浸かる環境なら若い時の方がいいかもしれませんが、脳が成熟した大人の方が理解力が高く有利であるとも言いますし、聴解能力に関しては子供の方が有利とも言います。
乳幼児にはどの言語に属するどんな音でも聞き分ける能力が生まれながらにあるからです。
それもだんだんと聞き慣れた母語が強くなって、母語にない音を認識しなくなったり母語の似た音と同じものと判断したりして母語以外の音を忘れていきます。
私たち日本語母語話者が英語のRとLに苦労する理由はここです。
大人が文法などの知識を得るには時間と労力をかければどうにかなることが多いですが、聴解能力は失った能力を補うように工夫して伸ばしていく必要があります。
それだけは確かに少し苦労する点だと思います。
大人の言語学習の特徴
『やっぱり若い時の方がいいのか』
とここまで読むと思うかもしれませんが、大人の言語学習で一番の強みは正確さです。
国語と日本語はまったく別の学問分野ですし、例えば、日本語能力試験(JLPT)の問題を答えられない日本語母語話者も少なくありません。
知識ではなく、経験や環境から習得した母語は”正しさ”よりも“通じる”ことを優先しています。
これはどの言語にも言えることです。
学習開始の年齢よりも自分の目的に合う学習方法で着実に学ぶことがなによりも大事なのですが、躓いている学習者のほとんどは自分に合っていない方法で学習している場合が本当に多いです。
自分と同じ人がいないように、学習方法もそれぞれで違うのは言語学が昔も今も変わらずに研究されている理由でもあります。
同じ学習方法でもタイミングやレベルによっては合わないこともあるので、専門家と話す機会がなかったら、情報を集めて今の自分に合う学習方法を模索することで学習への抵抗も減ると思います。
次回は関連して、幼児期の言語習得について書くつもりでいます😊
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あの不機嫌な『ありがとう』の本当の意味
感謝の意味を持たない『ありがとう』
『ありがとう』をどんな時に使いますか?
買い物をして店員さんに言われることは多いですが、明らかにこちらが時間をもらった時でも会話の終わりや区切れに『ありがとう』と返す場面はとても不思議でなりませんでした。
例えば、最初から不機嫌だったオーストラリア人のオペレーターとの会話で、
『今からアカウントを調べるね』とオペレーター
『助かる、ありがとう』と感謝する私に
『ありがとう』とぶっきらぼうに言い返したオペレーター
『(どういたしまして??)』
感謝に返す言葉
感謝の言葉には『いいよ』とか『とんでもないです』とか感謝を受け入れたり謙遜したりして、場面に合った返答をすると思います。
文化でも個人レベルでもポジティブかネガティブポライトネスどちらかを好む傾向があって、それがよく出ているのが感謝に対する返答です。
この話を進めるためにポライトネス理論について少し話しますと、ポジティブポライトネスは相手に好かれたい欲求からする言動で、ネガティブポライトネスは相手の領域を尊重した言動をする傾向があります。
なので、褒めたり同調したりするのはポジティブポライトネスですし、行儀良くしたり貸し借りなどしないのはネガティブポライトネスからくる言動の例です。
会話からの解放
ネガティブポライトネスを好む文化では、相手を自由にする言葉として『ありがとう』が使われることがあります。
「相手を自由にする」とはどういう意味かと言うと、本来ネガティブポライトネスを好む文化圏では相手の時間や手間を取ることを避ける傾向があるのですが、会話も相手の時間をもらう行為です。
その場合、『ありがとう』は「好かれたい」ポジティブポライトネスからではなく、『はい、ここで会話は(いったん)終わりです』と「相手に自由を返す」ネガティブポライトネスの影響を受けています。
一種の感謝と言ってはそうなのですが、
『ありがとう』が感謝の意味しかない文化では、本来の意味と別に使う文化に慣れないこともあるそうで、日本語学習者が『すみません』に『ありがとう』の意味があって日本で多用されている事実に驚くように、『ありがとう』も文化が違うと別の目的があります。
逆に、あまりにも『ありがとう』と聞くことがない文化を不思議に思うこともあると思います。
こんな日常の小さい事にも文化の違いが出ていると、合う文化や慣れるのに時間がかかる文化があるのも頷けます。
細かい事を気にしていたら色々とやっていけないのも異文化だとも思いますが、ネガティブポライトネスを好む文化の傾向が出ているおもしろい例だと思ったので今回書きました。
ありがとうございます😊
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ロシア人の強気な接客に恐怖した話
接客で見える文化
日本に行った人に感想を聞くと、接客の丁寧さにいい印象を持っている人が多くてつられて嬉しくなります。
海外のカジュアルな接客も最初は慣れませんでしたが、
『その買ったポーチ、今持っている鞄に合うね。夏っぽい!』とか
『今日はそのケーキないんだ。でもうちのティラミスも美味しいよ?』とか
気軽に話しかけてくれる接客にも慣れてくると『あ、友達?』と思って気を張らずに楽になってきます。
携帯ゲームをしながらの接客、明らかにカサ増し請求をする接客など色々な接客に出会いましたが、私の中で一番印象に残っている接客があります。
ロシアのお店での接客です。
ただハムが買いたかった
美味しいロシアのお菓子や総菜が買えるそのお店が大好きだったのですが、量り売りだったのと、ロシア語があまりできなかったのでロシア語話者の友達について来てもらっていました。
日曜日は閉店時間が5時なので1時間前にお店に入って
『ソバの実、ニシンの酢漬け、シローク、チョコレートのゼフィール…ゼフィールは量り売りだから友達にお願いしなきゃな。』
いそいそ考えながら店内を物色していると、加工食品売り場から激しい声が。
男性に手を払う仕草をする女性の店員さんが見えました。
あまりに激しかったので『職場まで来て痴話げんか?』と思うくらいでした。
普通に買い物をしている友達に事情を教えてもらうと
『あの男の人、ハムが買いたかったんだって』と一言。
怒鳴られていた男性がお客さんだったことにまずびっくりしていると
『今日はハムをスライスする機械をもう洗ったんだって。
せっかく今日の仕事が1つ終わっているんだからハムは売らない。
明日来て。だってさ』
笑いながらお願いしたゼフィールを別の店員さんに頼んでくれました。
(ゼフィールは売ってくれてよかった。)
『よくあることだよ』
明らかに目が点になっていた私に友達はさらに笑いながら教えてくれました。
『あのお客さんにとってもいつも通りだってこと???』
強気な接客
日本の接客を『初対面なのに信じられないくらいに丁寧』と驚いていたロシア人の友達の本当の意味が分かった気がしました。
ロシアでは『初対面の人に笑うとつけこまれる』と考えられているらしく、お客さんといえども笑顔を見せない接客は多くあります。
店員さんが強気なのも共産主義時代のなごりかもしれません。
とりあえず、あの男性客が自分じゃなくてよかった。
こんなにも強気な接客があることをもう知っているので、
次同じ状況に出くわしても精神的ダメージは小さく済みそうです。
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オーストラリア人が日本橋で見つけたもの
ソトだから気づくこと
自分にとっては近くて気が付かないことも、ソト側の人から見ると興味深いことってたくさんあります。
生まれ育った環境からソトに出て、違う視点で見ると改めて気が付くこともたくさんありました。
今回の話はオーストラリア人の上司と仕事で日本に行ったときの話です。
『ここでも靴を履き替えるの?』
日本では靴を脱いで室内に入らなきゃいけないことは、日本に行ったことがない人でも知っているくらい常識として広まっています。
『玄関でスリッパに履き替えて、
トイレのスリッパもある。
お風呂場に防水スリッパもある。
ベランダにでるときはまた別のスリッパに履き替える。
一体いくつスリッパが要るんだ???』
こんな冗談を言われるくらい日本のスリッパ習慣はよく知られているから嬉しいです。
オーストラリア、アメリカなどでは室内で靴を脱ぐ習慣がないこともよく知られていますよね。
(移民先でも自国の文化と暮らしている家庭もあるので、家庭にもよりますが)
日本橋にある会社を訪問していた時、オーストラリア人の上司がぽつりと言いました。
『ここでも靴を履き替えるの?』
出先から帰って来た人が別の靴に履き替えたのを目撃したそうです。
『会社は家のソトなのに?』
オーストラリアでは出勤・帰宅中、上はスーツで下をスニーカーに履き替えて歩いている人をよく見かけます。
『スーツに合わせた靴よりもスニーカーでしょ、歩くんだから』というもっともな理由からだそうです。
働いている間こそ履き心地のいい靴の方がいいなーとくらいにしか私は思いませんでした。
でも、会社も家の「ソト」、他者に会う所ですよね。
ウチとソト
日本語学習者泣かせの尊敬語と謙譲語ですが、
尊敬語は目上の人に使い、謙譲語は相手への敬意を示すために使うという日本の文化によく合った言葉です。
それを会社では相手が社内か社外に属するかでさらに使い分けますし、家族内・外でも同じことが言えます。
どうしてお母さんと母を使い分けるの?
どうして上司を呼び捨てにしてもいいときがあるの?
ウチとソト。
日本での社会との関わりを表したような言葉ですが、海外の人にはその概念や文化を理解するには少し時間がかかりますね。
ウチとソトで服装に気を付けるのがマナーでもある日本で、家の「ソト」である会社で靴を履き替える行動はスーツとスニーカーを合わせる実用的なオーストラリア人からしたら興味深い発見だったそうです。
「ウチ」である会社で履き心地のいい靴に履き替えることは特に気に留めることもない日常だと私は感じてしまいましたが、確かに。
靴一足に文化の違いを感じた一日でした。
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一番大事なやる気の元(自律性と興味)
自己決定理論、最後の1つ
成長するための挑戦と学習には意欲が必要です。
その意欲に必要な関係性・有能性・自律性を3つに分けて書いてきましたが、今回は最後『自律性』についてです。
自分で決めたことをする楽しさ
生まれたときから私たちには探求心や向上心が備わっています。
子供の時、あれもこれもと自分でしようとして大人に迷惑をかけましたが、失敗しても時間がかかっても最後にできたら嬉しかったです。
誰かに言われたことには興味を示さず、自分で決めたことには無我夢中で取り組みました。
それが自律性です。
学習意欲を向上させるにはこの自律性を高める必要があります。
原因が何かを見極める
自律性が欠けた学習者に多く見られるのは
『勉強の仕方がわからない』
『聞いていてもわからない』です。
特に言語学習は、学習者が進んで学習しないと指導だけではどうにもならない分野でもあります。
クラスで単語の暗記に時間を割くことはほとんどないですが、単語で躓いて指導者の説明が頭に入らないことはよくあります。
授業外での努力は学習者の自律性に頼るしかありません。
難しいのは自律性の重要性を諭しても、学習者には簡単に響かないことです。
学習者に耳を傾け、原因を探り対処しないと根本的な解決はできません。
クラスでできること
私たちの脳の構造は複雑ですが、興味のある物に対してはとても単純にできています。
没頭してあっという間に時間が過ぎた経験をしたことがありますか?
心理学では『フロー現象』と呼びます。
興味がある事には強い探求心から集中して作業に取り組みます。
・実生活と繋げて外国語を学習する(ロールプレイ)
・言語と一緒に外国文化に触れる(食文化や音楽、映画など)
・プレゼンテーション
このような文法・翻訳中心ではなく、学習言語を道具として使う課題例はフロー現象を上手く取り入れている学習方法でもあります。
オーストラリアの外国語教育ではこのタイプの課題が多く、好きなアニメの歴史的背景を発表したいと意気込んでいた学習者が、嫌いな漢字も頑張って読んでいた姿は印象的でした。
もちろん、
学習者みんなが同じように反応してくれるほど簡単な話ではありませんが、興味がある事が関係したら意欲が少しでも沸くのが脳のよくできたところだと思います。
自律性は自分の意識に素直に働く
大人になるにつれ、失敗も経験しますし、興味あることだけすればいい環境ではなくなります。
自分の好きな事だけができる甘い世の中ではないので仕方がないところです。
なので、『親に言われて』『単位の為にしている』と様々な理由で自律性を欠いた学習者もいます。
外国語を学ぶことは、その言語に付随する文化や価値観、考えなど国際社会に生きるための視野を広げてくれる機会です。
前と違って、海外に行かなくても外国人と生活を共にする機会が格段に増えてきています。
受け身で学習している学習者は、グローバル化が進む中での立ち位置を考えて、与えられた機会を自ら無駄にして欲しくないと思います。
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