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元日本語教師の海外日記

元日本語教師・英語教師/現言語教育コンサルタントのブログ🌻

嫌な思いを避けるために(異文化ニュージーランド)

『ジャバウォックの詩みたい』=ナンセンス
海外の人とコミュニケーションを取ったことがある人は、言葉が話せてもスムーズにコミュニケーションができないという経験をしたことがあると思います。

『お辞儀をする』などの目に見える文化は意識しやすいですが、目に見えない文化には自分から気づくことは難しいです。
そしてその見えない文化はコミュニケーションを取るために意外に重要だったりします。

文化は聞き手の役割で分けられている
文化人類学者のHallはコミュニケーションのタイプを高文脈文化・低文脈文化に分けています。

高文脈文化(ハイコンテクスト文化):
言葉で発された以上の情報を相手が察することが前提の、『言わなくても伝わる』を期待している文化。

実際に、高文脈文化の中でも高い指標を持つ日本は空気さえも読むことが期待されますよね。

低文脈文化(ローコンテクスト文化):
高文脈文化とは逆に、発せられた情報以上のことを受け取る必要はなく、『言わないと伝わらない』文化。

ただ文脈への依存度が高いか低いかということなので、文化度の高低を評価しているわけではありません。

日本での礼儀正しいとされている誘いへの断り方

日本では直接断らなくても、抽象的に約束をして実際には予定は立てない『社交辞令』をすることがよくありますよね。

お互いに日本語を母語とする話者であったら、雰囲気や言い方、表情などの非言語的要素でやんわりと理解したり、後からになって『社交辞令だったのか』とちょっとがっかりしたりすることも高文脈文化の特徴だと思います。

『友達に時間があるときにって言われて、結局会えなかった』

集団主義に属する日本では断る時も、相手のメンツを立て“和”を重んじる方法が確立されています。

日本語学習者がこの日本の文化を知っている/いないのとでは日本への印象もずいぶん違うと思います。

 (集団主義個人主義についての記事)


間違った印象を与えなくてすむように
低文脈文化に属する国は多文化国家が多く、言語や文化が違うと『言わないとわからない』ことばかりだからこそ低文脈文化が根付いたとされています。
なので、移民も少ない単一言語国家の日本で育った私たちは自分たちが気づかない以上に文脈から推測するのに慣れています。

『あの頃はほんとにジャバウォックの詩みたいだったよ』
ニュージーランドの高校で出会った友達は、ふと笑いながら言ったことがありました。
『最初話したころはなぞなぞっぽかった』

ジャバウォックはその独創的すぎてナンセンスな詩で有名なルイスキャロルの作品です。
『あれ』とか『それ』で通じるコミュニケーションに慣れていた私はニュージーランドでも同じような感覚でコミュニケーションを取っていました。
そして、話す内容も抽象的で掴めなかったと思います。

そんな私も今では低文脈文化に慣れてしまい、日本の友達と話すと特に『ごめん、あれってなに??』と不思議がる立場になってしまいました。

よく『外国に染まる』というマイナスな言い方をしますが、その大抵は異国の地で暮らすために順応した非言語コミュニケーションの現れです。

私は中学卒業後に海外に出て文化の違いを教わる機会もなかったので、ミスコミュニケーションをした後でないと違いに気づくことがありませんでした。
文化の違いを知っていれば与えずに済んだ印象やしなくてもいいミスコミュニケーションも多くあったでしょう。

言語学習は言語だけに目を向けがちですが、相手がいてのコミュニケーションなので文化の違いも併せて学ぶと円滑なコミュニケーションに一役買ってくれると思います。